
日々の生活の中で避けては通れないことが人間関係です。
誰もがこの悩みを持っていて、人間の悩みの約90%は人間関係だと言われています。
この悩みを解決することはできるのでしょうか?
今の所、確実な解決法は見出されていないません。残念ですが、どうやらこの悩みは人類がずっと一緒に生きていかなければならない、病のようなもののようです。完治はしない。
もし、これが解決できる方法が見つけることができたなら、人類史上における大功績となるでしょう。それほど、この問題は誰もが持っていて、又、誰も解決できないでいる大問題なのはご承知の通りでしょう。
しかし、無理だとわかっていても、多くの挑戦者がこれまでこの問題に取り組んできています。むしろ、全ての人類が、毎日、必ず挑戦する唯一の共通のことなのかもしれません。
現状
先ほども書いた通り、現在のこの大問題を解決する包括的な方法はまだ発見されていないようです。もし、その方法が見つかっているのならぜひSNSで拡散してほしいと願います。
包括的な方法がないとなると、個別的に解決する方法で解決を目指します。
個別的な対応方法 自己中心的な考え方を控える
人間関係でよくあるのが、自己中心的な価値観の押し付けることによる精神的な摩擦。このケースは聞かされる方のみメンタルが削られるという不利益を被ります。なので、自己中心的な話し方をしないようにする。他人目線でコミュニケーションをとるようにしましょう。
個別的な対応方法 相手の喜ぶことを話す
とかく、人は自分中心に世界が回っていると思いがちです。自分が主で人生が進んでいるのだから当然のことなのですが、これが行き過ぎてしまって、人の話を聞くときに否定的な話し方をしてしまうことがあります。この場合は相手の気持ちを意識をすることが大切で、これができる人のところに人は集まるのは当然でしょう。
個別的な対応方法 相手に行為を本気でもつ
相手に対する想いで言動は少なからず変化します。好意を持っていれば、相手中心で考え調和を考えます。逆に好意を持っていなければ、自分中心で考えてしまい、場合によっては対立にまで発展します。ちなみに、表面を繕っていても、言葉の端々、目の動き、口調などでだいたいバレます。
個別的な対応方法 頭の中から心配事を追い出す
ピグマリオン効果というものがあります。これは、
ピグマリオン効果(ピグマリオンこうか、英: pygmalion effect)とは、教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上することである。別名、教師期待効果(きょうしきたいこうか)、ローゼンタール効果(ローゼンタールこうか)などとも呼ばれている。なお批判者は心理学用語でのバイアスである実験者効果(じっけんしゃこうか)の一種とする。ちなみに、教師が期待しないことによって学習者の成績が下がることはゴーレム効果と呼ばれる。近年の研究では、ピグマリオン効果と心理の因果関係はないとされている。
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典
と書かれています。
期待をすることで、相手のパフォーマンスが上がるというこの効果を応用して、「相手が自分に興味を持たない」ことを期待するのです。変な感じかもしれませんが、これが経験上役に立つことがわかりました。
頭の中に恐れ、不安などネガティブな感情や思考を持っていると、なぜかそれが現実化してしまうのです。これに長らく苦しんでいた時期もありました。人間は防衛本能のためか、最悪の自体を優先的に考えてしまうようなのです。これをしないようにするのは何度か試行錯誤をする必要があり、なかなかできないのですが、これができるようになると生活は一変します。頭の中にネガティブな思考が出てきたら、それを考えないようにします。すると、現実的にもそのネガティブなことが起こらないようになるのです。
私の試行錯誤の流れは、悩み→瞑想→考えない→現実化と行ったようなフローを辿りました。
瞑想は頭の中がスッキリしておすすめです。
個別的な対応 瞑想
上のこうでもありましたが、瞑想は人間関係を頭の中からだすには最適な方法です。前は瞑想の本を読むか、習いに行くか、修行へ出るかだったかもしれませんが、今ではいくつもアプリがリリースされていて手軽に瞑想をすることができます。アプリを聴きながら、アプリ内の音楽に溶け込むようにどうやっていくかのナビゲートをしてくれるものもあります。最初は、瞑想って何をどうすれば良いか全くわかりませんでした。ところがアプリを入れて、耳をすましているだけで頭の中をスッキリさせることができます。
これだけでも、人間関係で疲弊した精神をリラックスさせるには十分な効果があります。
個別的な解決方法 嫌われる勇気
嫌われる勇気を持つことは「諦める」ことです。人間関係には必ず期待がついて回ります。その期待を裏切られることで嫌われるようになります。しかし、他者からの期待は適切なものであるとは限りません。相手のことをどれだけ正確に吐かれているかが大切ですが、多くの場合正確に相手のことをはかることは困難です。にも関わらず、勝手に期待を持ってしまい、裏切られたと思い込み嫌う。人間とはそういうものなのです。で、この嫌われることをしないようにしようとすると、かなり窮屈な人生となってしまいます。相手に合わせて動くことは自分の行動を制限することとなり、窮屈になるのです。しかし、果たしてこれが自分の人生を生きていると言えるのか?幸福と言えるのか?ということ。まず、窮屈な人生を幸福だと考えられる人は少ないでしょう。いないことはないと思いますが。窮屈になると、本当の自分を表現することはできなくなります。相手からみても、あの人は柔軟な人と肯定的に捉えてくれるかというとそうでもなく、ふわふわして芯がなく、とらえどころがないので付き合いづらいなぁということにもなり、嫌われる要素となってしまうことがあります。優しいのになんか嫌な人だと感じてしまうことってあると思います。そのため、芯があることを表現することで相手は付き合いやすくなるのですが、他者との価値観が完全に合致することがないのだから嫌われてしまうことを恐れず、そこは諦めて、相手に合わせるのではなく、自分の思う通りの人生を過ごせば良いのです。もし、今いる環境が合わない、生活がしずらいなどのことがあれば、そこを自分から変えれば良いのです。相手を変えることはとても難しいけれど、自分を変えることは自分の意思でできます。人生を豊かにする要諦は諦めにあるのです。